原発事故の避難区域が残る自治体は歴史や文化の継承が課題 忘れ去られた「磐城飛行場」手がかりが白河市に
2026/8/14 18:5615日は終戦記念日です。今も避難区域が残る自治体では、地域に残る戦争の歴史や文化の継承が難しい現状がありました。
【双葉町学芸員・星洋和さん】 「こちらがですね、震災前に双葉町にあった史料になりまして、今は白河市のまほろんさんで預かってもらっているものの一部になります」
県文化財センター白河館「まほろん」には、双葉町や大熊町から運ばれた文化財が数万点、保管されています。
福島第一原発の事故により、全ての住民が避難した自治体では、数多くの文化財が取り残されました。そうした文化財を守るために、原発事故が起きた翌年に始まったのが、国の事業である「文化財レスキュー」です。
梱包された状態で保管された史料の中には、戦争の歴史を伝えるものがありました。
【双葉町学芸員・星洋和さん】 「これは大熊町に住まわれていた方から寄贈されたものになるんですけれども、練習用の飛行機に付いていた椅子だそうです。名称としては軍用練習機、飛行機座席で夫沢飛行場使用。昭和20年以前。」 【佐野記者】 「夫沢飛行場?」 【星さん】 「なのでいわゆる磐城飛行場のことですね」
保管されていたのは、椅子やタイヤ、歯車といった、古い飛行機の部品。戦時中「磐城飛行場」で使われていた練習機、通称「赤とんぼ」の残骸です。
この練習機が飛んでいた「磐城飛行場」は、戦時中、旧陸軍が建設した飛行場で、現在の福島第一原発がある土地にありました。
【双葉町学芸員・星洋和さん】 「(磐城飛行場の史料の)実物のものってなると、私もあんまり聞いたことないですね。文献史料とかであれば断片的に探すことはできるんですけども、こういう直接現場で使っていたであろうものってなると、かなり珍しいんじゃないかなと思います」
「赤とんぼ」の残骸は、いまから30年ほど前、飛行場があった大熊町夫沢地区に住んでいた人から双葉町に寄贈されました。
【双葉町学芸員・星洋和さん】 「数万点の資料がありますので、そうした1点1点が本来であれば、どういったような経緯で収集されたのか、あるいは寄贈されたのかというのが分かればいいんですけれども、それが不明な史料というのもまず結構多かったりするんですね」
双葉町には、救出した史料を保管するための収蔵庫が現在はなく、戦時中のみならず、かつての町の姿を知ることが難しい状況が続いています。
【双葉町学芸員・星洋和さん】 「今後町に戻してからどのように活用していくかというのは、今の段階からですね、計画の方を練りながら、作業を進めていければというふうに考えています」





