上智大生殺人放火事件から30年 父親「犯人を絶対に許すことはできない」

2026/9/10 16:31
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 上智大学の女子学生が東京・葛飾区の自宅で殺害され放火された事件は、未解決のまま30年が経ちます。事件発生から約1万日。娘を奪われた父親が苦しい胸の内を語りました。

 事件の起きた自宅の跡地で今年も祈りを捧げる男性。1996年に葛飾区の自宅で殺害された小林順子さんの父親・小林賢二さん(80)です。

順子さんの父親・小林賢二さん 「愛する娘・順子は、夢にまで見た海外留学を目前に突然命を絶たれ、希望を奪われました。この地から世界へ羽ばたこうとしていた1人の若者の尊い命と夢と希望を無残にも奪っていった犯人を絶対に許すことはできません」

 9日で事件から30年。

小林賢二さん 「あっという間という感覚と、一方で、こんな長い時間だったのかという思いと。こういった両方の感覚を感じさせる、そういう30年目です」

 1996年9月9日。当時21歳の小林順子さんが葛飾区の自宅で首を複数箇所刺されて殺害されたうえ、放火された自宅が全焼しました。

 順子さんは上智大学に通い、2日後にはアメリカへの留学が控えていました。

小林賢二さん 「夢にまで見た留学の2日前だった。さぞ本人も無念だったと思う」

 事件前に、順子さんが留学先へ送っていた荷物には…。

小林賢二さん 「ブーツですよ。こんなのを履いてシアトルの街を闊歩(かっぽ)するつもりだったんでしょう」

 語学が得意で、将来はジャーナリストを志していたといいます。

大学時代の同級生 「何事に関しても積極的に取り組んでいましたし、一番活発に活動しているのが彼女自身でして、何をやっていても順子だな。一番目立つ存在でした。留学したいという希望は前から言っていたので、かなってよかったねと言っていた間際だったので」

 夢に向かう娘との最後の記憶は、何気ない家族4人でのだんらんでした。

小林賢二さん 「もう娘も大学生と社会人でしたし、私も結構、夜遅く帰ることが多かったので、家族が4人そろって食事をすることは日常あまりなかった。事件の2日前、私も午後から会議があって出掛けましたが、夕方帰ってきたし、娘たちも夕方から家にいたし、珍しく家族4人で食卓を囲むような形になった。家族4人で食卓を囲むのはしばらくお預けという気持ちがあるし、多分その時に、体に気を付けて行ってこいよという言葉は掛けた」

 事件発生から9日で30年。1万日以上という長い時間が経ちました。

 事件の後から、賢二さんが30年欠かさず続けてきたことがありました。

小林賢二さん 「30年間変わらず続けてきたことということで、1日朝起きてからの一つのルーティンなんですけれども、家内がまず仏壇を開けて、ろうそくに火を付けて、我々が食べるのと同じ朝食を、かげ膳といいますけどお供えする。夕方になると、今度は夕食。これも我々が食べるのと同じ献立のものを必ずお供えする。就寝前は仏壇の明かりを消して、手を合わせて扉を閉じる。ここまでが1日の決まりきったルーティンだけども、よく考えると30年×365日を計算してみて下さい。軽く1万回は超える。そういうことを考えると、途方もない時間が過ぎていった」

 一方で、30年が経って新たに分かってきたこともあります。犯人が放火する際に使ったとみられるマッチ箱についてです。

 A型の血液に加え、親指とみられる痕が付いていたことが新たに分かりました。犯人が腕などをけがした後にマッチ箱を拾った可能性があります。

 また、マッチ箱には軍手の模様のような跡がついていて、指紋などの証拠を残さないようにしていたとみられています。

 警視庁はこれまで延べ12万2000人の捜査員を動員し、現場付近で目撃された不審な男を捜すなど、事件解決に向けて捜査してきました。

小林賢二さん 「警察も一生懸命、今捜査をやっているのは分かっているんで、捜査の良い結果を待つしかないと、そういう気持ち。時効が廃止になって以来、犯人の逮捕がきょうかあすかと心待ちにできるという、そういった環境のなかでそういったことを心待ちにしている。今だって警察から電話があって、『小林さん犯人見つかりましたよ』という電話があるかもしれない。そういった期待感もあるなかで30年目を迎えたわけですけれども、過ぎてみればやっぱりあっという間で、もう30年経ってしまったかと」

 80歳になった賢二さんが危惧しているのは「事件の風化」です。

小林賢二さん 「一番分かりやすい例は、事件現場の付近の風景。当時あった家屋もほとんど建て替え。当時生まれた人が今30歳ですからね。相当人が入れ替わっているのは事実。当時を知る人はだんだん少なくなり、遺族として一番恐ろしいのは事件の風化。食い止めるにはどうしたらいいのか。メディアを通じて私たち遺族が常に発信し続ける。一番重要ではないかなと考えています」

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