旧宮家と終戦 なぜ皇室離脱? 背景にGHQの“皇室観”

2026/8/14 20:04
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 15日は終戦の日です。皇室典範改正で注目された「旧宮家」の人々が皇室を離脱するきっかけとなったのが「戦争」でした。なぜ離脱することになったのか。その理由が、アメリカ公文書館に残されていました。

■戦争きっかけ なぜ“皇室離脱”

 今月2日、愛子さまは伊勢神宮を参拝されました。伊勢神宮の大宮司は今、久邇宮家の子孫・久邇朝尊さんです。

 皇室典範の改正で注目を集めた旧宮家は、今から79年前、戦争をきっかけに皇室を離脱しました。なぜ旧宮家は、そうした運命をたどったのでしょうか。

ポートランド州立大学日本研究センター主任 ケネス・ルオフ教授 「信じられないほど富が集中しているように見えたのです。皇室に集中していた富も分散させるか、あるいは排除する必要があると考えていました」

 皇族の身分、そして財産を失う事になった旧宮家。

 昭和天皇の妻・香淳皇后も宮家の1つ、久邇宮家の出身です。実家の久邇宮家は、聖心女子大学の敷地内に今も残っています。

 大正13年1月、昭和天皇との結婚の朝、この御殿でどう過ごしたかが、香淳皇后実録から分かります。

香淳皇后実録(1924年1月26日) 「御朝食後、御髪上げ・着付けを済ませられ、九時三十分過ぎ、御出門になる」

 今も残る車寄。当時の映像が残っています。香淳皇后は十二単をまとって車に乗り込み、実家をあとにしました。

 それから17年後に戦争が始まると、皇居や都内にある宮家の御殿も空襲に遭います。

香淳皇后実録(1945年5月26日) 「未明にかけての空襲により、宮殿も御静養室を残して焼失する。秩父宮・三笠宮・閑院宮・東伏見宮・梨本宮・李鍵公の各邸も罹災(りさい)する」

 昭和天皇と香淳皇后は宮家を見舞い、翌日には歩いて宮殿の焼け跡を見たといいます。

 戦後、GHQによる統治の下、1947年、久邇宮家も含めた11の宮家の皇籍離脱が決まります。

 お別れのため参内した宮家の人々、香淳皇后の母親・俔子さんの名前もあります。昭和天皇はこう声を掛けます。

昭和天皇(昭和天皇実録 1947年10月18日) 「皇族としての皆さんと食事を共にするのは今夕が最後であります。しかしながら、従来の縁故と云ふものは今後に於いても何等変わるところはないのであって将来愈々(いよいよ)お互いに親しく御交際を致し度いと云うのが私の念願であります」

 香淳皇后は「今後とも御幸福をお祈り致します」と伝え、吹上御苑でコスモスを自ら切り取り、花束にして贈ったとつづられています。

■「財閥と似る」GHQの“皇室観”

 ポートランド州立大学の日本研究センターの主任で、来月から国際日本文化研究センターで客員教授を務める、ケネス・ルオフ教授です。

ケネス・ルオフ教授 「皇室に対してかなり否定的なアメリカ政府高官もいたが、早くも1942年の時点で戦後は皇室を維持する方向に動いていた」

 1942年といえば開戦の翌年です。皇室を維持する方向だったはずが、なぜ終戦後に宮家は離脱することになったのでしょうか。

 ルオフ教授は、GHQの目的は皇族の身分を奪うこと、そのものではなかったと指摘します。

ケネス・ルオフ教授 「アメリカ占領当局者は、皇室を財閥に例える者もいた。信じられないほど富が集中しているように見えた。財閥に集中していた富を分散させる必要があると考えたのと同様に皇室に集中していた富も分散させるか、あるいは排除する必要があると考えていた」

 GHQは戦後、富の象徴であった財閥を解体しましたが、皇室も似た存在と認識していたといいます。

 アメリカ公文書館には、GHQが記録した『皇室の財産』に関する160ページの文書があります。皇室や宮家がどれだけの財産を持っていたかをGHQが早い段階で把握していたことが分かります。中には北海道の森林を保有していたことについても記されています。

 終戦の1カ月後、日本政府は皇室財産の一覧をGHQに提出しました。そこにこんな一文を付け加えています。

皇室の財産に関する文書(1945年9月12日) 「皇室の財産の保護のため、特別な考慮がなされんことを強く望みます」

 しかし、GHQは翌年、皇族の特権剥奪(はくだつ)や歳費を打ち切る指令を出します。

ケネス・ルオフ教授 「彼らが皇室にいることが不可能か、ほぼ不可能になるような状況を(GHQが)作り出した」

 GHQの目的は皇室が持つ富の再分配であり、結果として11宮家が皇室を離脱することになります。

 東京・渋谷にあった久邇宮家の広大な敷地は国の管理になり、その後、聖心女子大学が購入しました。

 戦時中、一部が焼失しましたが、小食堂や御常御殿は今も残っています。香淳皇后の父親の書斎は2階にあります。

 旧久邇宮邸は皇室建築として価値を評価され、重要文化財に指定されています。

 宮家が暮らした部屋は、今は学生が日本舞踊や琴の演奏をする場となっています。

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