あの日の日記アーカイブ
あの日の日記 2011年3月23日
先日から日を追って、
震災当時に書いていた日記をこちらに載せています。
拙い走り書きのようなものですが、
二度とこのようなことが起きないよう願いを込めて掲載します。
当時の状況をお伝えするのに、なるべく加筆・訂正などはせずに、そのまま載せています。
あくまで、あの日あの時、私が経験したこと、感じたことです。
ご了解いただけると幸いです。
(アナウンサー以外の個人名は、プライバシーを考慮してイニシャル表記にします)
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2011年3月23日
朝から大きな余震で目を覚ます。
浜通りで震度5強を2回観測。
余震のレベルではない強い揺れ。まだ気が抜けない。
手早く準備をして会社へ。比較的安定しており、ほっとする。
昼前、猪俣ちゃんと一緒に、避難所になっているビッグパレットふくしまへ。
絵本を数冊携えて、子どもたちのいるキッズスペースに向かった。
即席の絵本のおはなし会。15人程のこども達が集まってくれた。
想像以上に元気な様子。
本当は心に悲しみや寂しさを抱えているかもしれないけれど、それでも私には明るく力強く見える。
そんな澄んだパワーは、きっと周りの人を元気にしているに違いないと思う。
子供は、その存在がもう「希望」なんだと気づく。
小一時間ほどの会だったが、元気づけるはずの私が、元気づけられた。
会社に戻ると、突然携帯電話が壊れる。
あわてて携帯電話会社へ。
機種変更。時間がかかったが、災害割引というのがあり、どの電話も1万円引きに。
驚いたが、素直にうれしい。
どこの会社も地震に関して色々対応しているのだなと思う。
それほど社会的影響のある災害だったと実感。
携帯電話会社の帰りにスーパーへ。
水と牛乳を探したが、どちらも売り切れ。
仕方なくお茶のペットボトルとヨーグルトを購入。
帰ろうとしたら、水が補充されていて、また混雑したレジに並ぶ。
昨日の夜の水道水の汚染のニュースで、水は争奪戦だ。
スーパーとガソリンスタンドの行列で、街の異様さが分かる。
「普通」はどこに消えたのだろう。そしていつ取り戻すことができるのだろう。
Jチャン6時台。新潟の中継を交えながら。
夜10時帰宅。雪がちらつく。春はまだ遠い。
