あの日の日記アーカイブ
あの日の日記 2011年3月21日
先日から日を追って、
震災当時に書いていた日記をこちらに載せています。
拙い走り書きのようなものですが、
二度とこのようなことが起きないよう願いを込めて掲載します。
当時の状況をお伝えするのに、なるべく加筆・訂正などはせずに、そのまま載せています。
あくまで、あの日あの時、私が経験したこと、感じたことです。
ご了解いただけると幸いです。
(アナウンサー以外の個人名は、プライバシーを考慮してイニシャル表記にします)
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2011年3月21日
朝から小雨。雨に含まれる放射性物質が気になる。
母は過敏。
放射線を気にして、大丈夫だというのに、車まで傘をさしてくれた。
自分は濡れるのも気にせず、私に傘を傾ける。
今濡れなくても、取材では雨は避けられないのに...
母の思いと、今日の取材。
複雑な気持ちを抱えながら会社に行き、合羽を着て車に乗り込んだ。
向かっていると電話。テレビ朝日から依頼があり、避難所に行ってと言われる。
雨は避けられるだろう。少しほっとする。
避難所となっている開成山野球場、郡山市体育館、ビックパレットふくしまへ。
ビックパレットには大熊町などから2000人が避難。
子どもたちの表情は比較的明るいが、大人たちは一様に不安そうな顔をしている。
毛布にくるまり寝ている人、難しい顔で原発の新聞記事を読んでいる人、
何もせずただ一点を見つめている人。
子どもたちはトランプをしていた。
帰社し、原稿を書き、ネットへ送る。
午後はライフライン確認のため、各市町村へ電話。
そしてJチャンネル(18時台のみ)。
新潟テレビ21の大島直子さんが中継をしてくれた。
新潟に避難している福島の人たちの話。
中越地震の経験から、エコノミークラス症候群にならないように、ウォーキングをしているという内容だった。
経験者の知恵はすごい。こちらでは、そこまで考えが及ばなかった。
ウォーキングをする避難者たち。
画面で見る限りは表情に明るさがあり、少しほっとする。
ブログに厳しいコメントが届いた。
他局は震災の特番を放送しているのに、なぜKFBはやらないのか、もう見ないという内容だった。
いわきの情報が少なすぎるという意見だった。
事実、その通りだと思う。
線量の関係で、いま浜通りにはなかなか取材に行けない現状がある。
浜通りはは物資も少ない。もっと伝えなくてはいけないのに。
ジレンマを抱える。
夜。ガソリンスタンドの混雑が少し緩和してきたように見え、池田さんと行列に並ぶ。
1時間並んで、あと一台というところで閉店になった。
膝を曲げ、中腰で1台1台、謝り続けるスタンドのお兄さん。
彼が悪いわけではない。
あと数日でガソリン不足が緩和されるとのこと。待つしかない。
会社からお弁当を持ち帰り、母と分けて食べる。
明日は6時から勤務。
早々に床に就く。
