あの日の日記アーカイブ
あの日の日記 2011年3月18日
先日から日を追って、
震災当時に書いていた日記をこちらに載せています。
拙い走り書きのようなものですが、
二度とこのようなことが起きないよう願いを込めて掲載します。
当時の状況をお伝えするのに、なるべく加筆・訂正などはせずに、そのまま載せています。
あくまで、あの日あの時、私が経験したこと、感じたことです。
ご了解いただけると幸いです。
(アナウンサー以外の個人名は、プライバシーを考慮してイニシャル表記にします)
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2011年3月18日
5時過ぎ起床。朝6時に会社へ。
会社のいたるところで、みんな転がって眠っていた。
カメラマン席の回りでは、疲れ切ったスタッフたちが
テレビで地震のニュースを見ている。
廊下で、窓の外をじっと見つめるカメラマンのKさんとすれ違う。
朝日に染まった街を静かに見つめていた。
無理をして元気のいい挨拶をしてみる。
笑って返してくれたが、通り過ぎた後、大きなため息が聞こえた。
アナウンサーが3交代制になり、休みが取りやすくなった分、人が減った。
今日は目が回るような忙しさ。
ニュース読んで、電話して、ニュース読んで、電話してを
結局6回くらい繰り返した。
ライフラインのニュースの尺を出すのに、
読んでも読んでも、強烈な睡魔でいつの間にか途中で眠ってしまう。
また最初から時間の計り直し。
たった40秒のラップも出せないなんて、何をしているんだ、私は。
そんなこんなで、バタバタとJチャンネルの本番に入った。
仕事を終え、帰宅。
母とともにニュースを見る。
すると黙祷の映像。
はっとする。地震発生からきょうで一週間だった。
私は2時46分に一体なにをしていただろう。
思い出せない。多分本番に向けて電話をかけていたのか、
ニュースの下読みをしていたのか。
どちらにせよ、2時46分を気がつかずに過ごしていた自分に嫌気がさした。
そんな当たり前のことに気がつけないようなままで
いい放送なんてできないだろう。
ニュースを伝える大前提に、「人」がいることを肝に銘じなくてはいけないと思う。
避難所のニュースを見ていて、ふと思いついた。
避難している子どもたちに絵本を読みにいくのはどうかと。
明日、猪俣ちゃんに相談してみよう。
