あの日の日記アーカイブ

あの日の日記 2011年3月16日

先日から日を追って、

震災当時に書いていた日記をこちらに載せています。

拙い走り書きのようなものですが、

二度とこのようなことが起きないよう願いを込めて掲載します。

当時の状況をお伝えするのに、なるべく加筆・訂正などはせずに、そのまま載せています。

あくまで、あの日あの時、私が経験したこと、感じたことです。

ご了解いただけると幸いです。

(アナウンサー以外の個人名は、プライバシーを考慮してイニシャル表記にします)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2011年3月16日

朝6時。

早朝ニュースを終え、仮眠室で仮眠をとる。

ここはお化けが出るともっぱらの噂で、

あまりみんな近寄らないので、よく眠れる。

お化けは怖くない。漠然とした原発への不安の方がよっぽど怖い。

昼12時、報道フロアに戻る。

放射線への不安が社内をじわじわと侵食する。

小さな子どもをもつAさんの精神状態もギリギリのようだった。

ご両親にHちゃんとKくんを預けたという。

子どもと離れる寂しさと、この先どうなるか分からない不安を抱えながら

デスクに向かっていた。

社内を見回す。

寝不足と疲れを滲ませながらも、みな目の前の仕事に向き合っている。

家には家族を残してきている。

この状況で不安を感じていない人は一人もいないだろう。

不安は人から人へ伝染する。

カメラの前に立つときは、平静に。

自らに言い聞かせる。

仕事に没頭していると不安を忘れられる。

今日は各市町村に電話して、地震で出た災害ゴミの収集について片っぱしから聞いた。

どこも燃料不足で、回収に行けないのが現状。

ただ、こうした生活情報が役に立つと信じて、電話と向かう。

ある時から、パソコンを開くと、社内のブラウザに

「さぁ、福島県のためにガンバロウ!!」という文字が掲載されるようになった。

そうだ。頑張ろう。津波で大切なものを失った人がいるのに

どうして私たちが何もしないでいられるだろう。

こんな中でも、会社に掃除に来てくれているスタッフや、

自動販売機にペットボトルを補充してくれる人もいる。

私たちにできることは、まだあるはずだ。

少し疲れた様子の猪俣ちゃんを連れて、友人Aの家に向かう。

Aのご両親が温かいご飯を用意して待っていてくれた。

味噌汁を飲んだ猪俣ちゃんが、「おいしい」と泣き出した。

菜の花のお浸し、きんぴらごぼう、炊きたてごはん、焼き鮭、

タコのキムチが食卓に並ぶ。

テレビを見ながら、こたつに入って食べた。 本当にほっとする。

猪俣ちゃんも笑顔が戻った。

温かいお風呂に入らせてもらい、布団を二つ敷いてもらった。

猪俣ちゃんと並んで眠る。

夜中、母から電話。

開口一番、

「もう、帰っておいで。金曜日の福島羽田の飛行機を取ったから乗りなさい。」

と言われた。  

これまでは、しっかりやりなさいとメールや電話で励ましてくれていたのに。

いきなり様子が変わり、戸惑う。

きっと母の心配が限界を超えたのだろう。

母、原発、放射線、仕事...

代わる代わる、頭に浮かんでは消え、消えては浮かぶ。

トップへ戻る