あの日の日記アーカイブ

あの日の日記 2011年3月15日

先日から日を追って、

震災当時に書いていた日記をこちらに載せています。

拙い走り書きのようなものですが、

二度とこのようなことが起きないよう願いを込めて掲載します。

当時の状況をお伝えするのに、なるべく加筆・訂正などはせずに、そのまま載せています。

あくまで、あの日あの時、私が経験したこと、感じたことです。

ご了解いただけると幸いです。

(アナウンサー以外の個人名は、プライバシーを考慮してイニシャル表記にします)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2011年3月15日

ハッと目が覚めたら、朝11時。

10時前には会社に行く予定だった。慌てて直行する。

原発の状況は芳しくない。

精神的に参ってくる。

皆といる時は平常心を装うが、

トイレなどで一人になると悪い方悪い方へと考えてしまう。

猪俣ちゃんと話す。

いま取材で外に出ろと言われたら、正直どうしたらいいのか。

答えは出なかった。

マスクなしで外に出るのが怖い。

夕方、今泉さんとJチャンネル6時台をOA。

初めてしっかりと、交通機関、給水ポイントや病院、学校の休校関係、

お店のオープン情報など生活に直結した情報を伝えることができた。

被災者に向けたこういう情報が、今一番求められるものだと思う。

放送を終えると、再び不安に襲われる。

最悪の事態になった時、どういうことが起こり、

どんな行動をとればよいのか。

夜、編成局のAさんの所へ行く。編成局に行くと癒される。

Aさんのお子さんの、HちゃんとKくんがいるから。

Aさんのデスクの横に布団を敷いて寝る準備をする2人。

母親の近くにいられて嬉しそうだ。

K君をみんなで代わる代わる抱っこする。

ぬくもりを感じながら、つくづく子供っていいなと思う。

人間、極限状態になると子供が産みたくなるというが、

その境地なのかもしれない。

私もいつか授かるためには、放射性物質の影響を何とか受けないよう

極力避けなくてはと気持ちが引き締まる。

深夜対応。

緊急地震速報が鳴るが、ここ数日、だいたい外れる。

皆、またかと、信じなくなる。

少しくらいの揺れでは動じなくなってきた。感覚が麻痺。

緊急地震速報は鳴るたびに心臓がドキドキするが、

もう今、怖いのは地震よりも原発だ。

朝5時。早朝ネットのニュース対応。

そういえば、2日間顔を洗っていない。

全国ニュースでこんな顔をさらすのに慣れてきた自分が怖い。

なんとかしようとメイクを直す。

新聞に目を通したら、一枚の紙が目につく。

燃料不足のため、新聞を配れないという知らせ。

これからは自転車、徒歩圏内のみで配るという。

なんでこんな事態になってしまったのだろう。

改めて事の重大さを突き付けられる。

トップへ戻る