あの日の日記アーカイブ
あの日の日記 2011年3月12日
昨日から日を追って、
震災当時に書いていた日記をこちらに載せています。
拙い走り書きのようなものですが、
二度とこのようなことが起きないよう願いを込めて掲載します。
当時の状況をお伝えするのに、なるべく加筆・訂正などはせずに、そのまま載せています。
あくまで、あの日あの時、私が経験したこと、感じたことです。
ご了解いただけると幸いです。
(アナウンサー以外の個人名は、プライバシーを考慮してイニシャル表記にします)
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2011年3月12日
朝4時。出社。
空港に向かう。途中、道がうねり、迂回せざるを得ない。
朝6時。テレ朝のOカメラマンと合流。ヘリに乗り込む。
まずは松川浦を目指す。
松川浦大橋を確認しようと思うも、見つけられず。すぐに宮城方面へ。
仙台空港が見えてきた。信じられない。
泥と水に呑みこまれた茶色い空港があった。もっと北へ。
海と陸の境がない。すべてが茶色。
家や車が流されて、ひとところに押し寄せられている。津波のひどさを物語る。
あまりの惨状に絶句していたら、カメラマンが手で喋れとのジェスチャー。
夢中で言葉にする。強烈な酔いが襲う。
耐えきれず、手持ちのビニール袋に嘔吐し、喋る。それを繰り返す。
コンクリートの堤防が崩れている
橋が分断され、橋の上に車と人が取り残されている。
すべてが押し流されて、辺りに何もない中、大きな建物だけが残っている。
カメラマンがズームインしたら人影がみえ、涙が出そうになる。
病院をみつける。中で人が動いている。怪我はしていない模様。
屋上に目を移したら、SOS、そして食料の文字。
ベッドのシーツを束ねて振っている。ピンク色のビニール傘を両手にもって
大きく振る姿も。人間の強さを垣間見た気がする。
3時間飛び続け、燃料がなくなり、空港に戻る。
もう一度飛ぶという。
もう嘔吐のしすぎで限界だった。
顔面蒼白だったらしく、Sさんが会社に電話してくれ
リポートは寺尾さんにバトンタッチ。
悔しい気持ちで局に戻る。
午前10時。会社に着くと、少し休めといわれる。
仮眠室で、30分仮眠を取り、報道フロアに戻る。
午後から、今泉さんとマスターカット。
深夜にみんなが帰る。この日の深夜対応に。
睡眠不足と緊張で、身体が浮いている感覚。
余震も続いているが、そうでなくてもいつも揺れている感覚。
東京出張に行っていた池田さんが深夜に局に戻ってきた。
申し訳なさそうな顔をしている。そんな必要ないのに。
道路状況が悪い中、車を乗り合わせて帰って来てくれて感謝。
朝6時、交代の今泉さんが来てくれ、帰宅。
