あの日の日記アーカイブ

あの日の日記 2011年3月14日

先日から日を追って、

震災当時に書いていた日記をこちらに載せています。

拙い走り書きのようなものですが、

二度とこのようなことが起きないよう願いを込めて掲載します。

当時の状況をお伝えするのに、なるべく加筆・訂正などはせずに、そのまま載せています。

あくまで、あの日あの時、私が経験したこと、感じたことです。

ご了解いただけると幸いです。

(アナウンサー以外の個人名は、プライバシーを考慮してイニシャル表記にします)

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2011年3月14日

朝7時出社。猪俣ちゃんと交代する。

交代だよといったら、私、何もしてませんという。

夜は大きな動きはなかった模様。

その後、今泉さんと二人でOA対応。

昼、15分後に新地町に3メートルの津波がくるとの情報が入り、

大急ぎでマスターカット。

ひたすら、避難を促すコメントを繰り返す。

15分間今泉さんが喋り続け、声がかれ、交代で入る。

途中、恐れていた原発がまた爆発する。

津波と、爆発。もう終末のようだと思う。
    

結局、津波は来なかったものの、原発の心配が広がる。

車に荷物を取りに行ったら、郵便屋さんに会う。

こんなときでもきちんと配達してくれる郵便局に感謝。

お疲れ様です。と思わず声をかけた。

彼らも頑張っているのだから、私もきちんと仕事を全うしなくては。

夕方は、久しぶりに池田さんとJチャン対応。報道フロアからOA。

仕事を終え、コンビニに寄る。

放射性物質を防いだほうがいいのではと思い、ゴム手袋を買ってみる。

飲み物も買いたかったが、驚くほど何もない。

空のショーケースが煌々と照らされていた。

一本だけかろうじて残っていた野菜ジュースと栄養ドリンクを買う。

レジで、いつもは言葉を交わさない店員に声をかけられる。

「寝てないんでしょう?」

お互い様ですよね。頑張りましょうね。と返す。

こんな会話が力になったりする。

帰宅後、もう何もできず、また深い眠り。

朝、余震で目が覚めるが、それよりも眠りが勝る。


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