2022-03-11
今、世界は混乱の最中にいる。
ロシアによるウクライナ侵攻で、
子どもも大人も多くの人たちが命を落としている。
亡くなった人たちは皆誰かの大切な人だ。
11年前、
自然の驚異によりなすすべもなく多くの犠牲者を出した福島に住む私にとって、
絶対に理解できないことだ。
東日本大震災と原発事故が起きてから11年が過ぎた。
当時の国の最高責任者、菅 直人元総理に今月インタビューする機会があった。
思えば原発事故が起きた当時、私は取材に出ずっぱりで、
原発の危機的状況はほとんど把握せずに各地へ赴いていた。
浜通りから避難してきた住民の皆さんに避難所で会うと、
疲労困ぱいの表情の中に
何が起きているのか分からない不安が渦巻いていた。
不安は勢いを増して拡大していく。
私も、不安だった。
当時、全電源を失った東京電力福島第一原発の状況は刻一刻と悪化の一途をたどり、
県による半径2キロの避難指示の後
政府が3キロ、10キロ、20キロと段階的に避難指示を広げていった。
入院患者らが、避難するバスの中で多く亡くなるという
通常では考えられないことも起きた。
「もうちょっとうまくやっていれば
亡くならないですんだであろう人も、もっとあっただろう」
しばらくの沈黙の後、菅元総理はそう口にした。
もう二度とこんなことは繰り返したくない。
11年目のきょうは
震災関連のテレビ番組が去年までよりも大きく減っている。
風化を生み出しているのは誰なのか。
毎年個人的に出席している追悼式で
震災直後に取材した遺族が声をかけてくれた。
先日私が手掛けた震災関連のニュース特集を見てくれたらしい。
「泣きながら見ました。
11年経った今も、忘れないでくれてありがとう」
津波で家を失ったばかりの子どもにマイクを向けたことも
土砂崩れで家族が巻き込まれ、救出作業を見守っていた男性のことも
話を聞かせてほしいと何度も遺族のもとを訪れたことも
私の心の中に鮮明に残っている。
この先も、決して忘れることはない。
出会ってきた人たちとともに
これからも私は生きていく。