KEIKO ANDO
出身地:福井県 / 星座:さそり座 / 血液型:むらがあるA型
時間がかかる料理を作る
読書(小説も洋書も漫画もいろいろ読みます)
英語 TOEIC 905点
スピーキング:CEFRのC1レベル(ケンブリッジ英検)
小型船舶操縦士1級
世界遺産検定2級
晴れ女
温泉
(湯めぐりできる場所が様々あり、幸せだなと思います)
水にレモン果汁をたっぷり入れて飲む
2011年3月11日からの1か月。
人生が変わりました。
毎日のように取材で様々な場所に出かけています。
毎回出会う人たちがきらきら輝いていて、たくさんの人たちに直接お話を聞けるこの仕事が大好きです。
その感動をご覧いただく皆さんに伝わっているといいなと思っています。
LASTEST BLOG
2024-03-11
3月11日を前に
東京から来た20代の記者と浜通りを訪れた。 車窓から見る町は、 かつて近づくことすら出来なくなった場所でもある。 「ここは福島第一原発がある町なんですよ」
そう声をかけて
原発事故発生後の町の状況について少しだけ説明すると、 彼はスマートフォンから目を離し 窓からの景色を熱心に眺め出した。 初めて訪れる人がすぐには気づかないほど、 「普通の景色」に近づいている場所もあるのだと思った。 能登半島地震が起きて 東日本大震災を思い出さない人はいなかったのではないだろうか。 13年経っても あの時感じた悲しみや恐怖はどこかにこびり付いたままで、 ふとした時に顔を出す。 一方で、時を経るごとに 壊れた場所は新しく造り変えられ 当時の記憶を辿ることが難しくなっている。 去年4月に、 岩手・宮城のテレビ局とともに 全国のアナウンサーに向けて震災当時の経験を話す機会があった。 私はこれまで 自分から当時の話をすることは少なかったのだけれど、 当時の映像や写真と共に 経験と反省、教訓を伝えることにした。終わった後に「これからはテレビ局の中でも、語り部のように経験を語り継いでいくべきですね」
と、参加した人から声を掛けられた。
風化はどこでも起きていて 伝える側のマスコミの中でも 教訓をつなぐことが課題になっている。
私を含め全員にとって、それぞれの立場での教訓がある。
「あの日、もっと強く避難を呼びかけていたら」
東日本大震災以来、何百回の訓練を通して改善してきた津波避難の呼び掛けは
能登の人たちの避難に役に立てたのだろうか。
地元である北陸の被災地の映像を観ながら
そんなことを考える。課題は見つかり続け、ゴールはない。
それでも、1つずつアップデートしていく。
その先に、救える命があると信じて。