うっちーの男を磨け!

終戦から70年 戦災孤児の為の学校

2015.08.14

今週、Jチャンネルでは、シリーズ「終戦から70年」をお伝えしました。

私は、かつて福島市の山中にあった戦災孤児の為の学校を取材しました。

福島市中心部から北東に約12km。

この、うっそうとした山の中に、かつてある学校がありました。

3年9カ月に及んだ太平洋戦争。

戦争による死者は約310万人と言われ、多くの戦争孤児を生み出しました。

その戦争孤児を集め、福島市に学校を作ったのが、香川県出身の国語学者・三尾砂(みお・いさご)さんです。


当時の教育は軍国主義に染まっていて、早くから敗戦を予想していた三尾さんは、妻と共に、民主主義にあわせた新しい教育作りが必要だと考えていました。

東京・仙台・新潟は、アメリカや旧ソ連の占領下におかれると判断した三尾さんは、その影響を受けにくい福島の山間部に学校を作る事を決意します。


学校名は青葉学園。

終戦の翌年、戦争で親を失った7人の児童と共にスタートを切りました。

校舎や宿泊施設は全て手作り。

近くの畑で野菜を作るなど、自給自足の生活を送っていたといいます。


次第に、戦争以外の理由で親を亡くした子供も受け入れるようになり、

子どもの数は30人近くまで増えました。


(運動場もあったようです)

その青葉学園で行われていたのが、ローマ字を使った教育です。


読み書きできる子どもが少なかった当時の日本。

誰もが読み書きができ、自分の意見を発表できる事が民主主義の根底だと考えていた三尾さんは、誰もが簡単に読み書きできるローマ字教育が効果的だと考えたのです。

ローマ字研究の第一人者でもあった三尾さんは、自作で教科書を作成。

青葉学園でのローマ字教育は注目を集め、GHQの教育顧問や

文部科学省の担当者も視察に訪れました。


(三尾さんが作った教科書)

しかし、1951年。民主主義に合わせた学校教育法が確立すると、徐々に三尾さんの目指した教育は下火になっていきます。

財産があった訳ではなかった青葉学園。

学校法人と青葉学園の児童養護施設としての役割のどちらを優先すべきか...

三尾さんは悩み抜いた末、子供たちの生活を守る方を選択します。

開校から5年。青葉学園は学校の役割を終え、児童養護施設として再スタートを切ります。

青葉学園は、今も、福島市内で身寄りがない子ども達を受け入れています。

(現在の青葉学園です)

三尾砂さんは1989年に死亡。

目指した教育は志半ばで途絶えてしまいましたが、

三尾さんのローマ字教育は、実は、私達が生きる現代社会にも受け継がれています。

学校で習うローマ字の教科書は三尾さんが書いたものがかなりあり、今の教育の1つのベースになっているそうです。


戦後の混乱期。見知らぬ土地で子どもたちの平和を願い行動した三尾夫妻に頭が下がる思いがしました。

(※写真は、青葉学園の許可を得て掲載しています)

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